法圓寺

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第355回

令和7年2月14日

私が私になる

星野富弘さんのこと

 昨年(令和6年)4月28日に、詩画作家の星野富弘さんが78歳で呼吸不全のため逝去されました。本当に頭の下がるご一生でした。  星野さんは、昭和21年に現在の群馬県みどり市にお生まれになりました。大学生の時は体操の選手として活躍されました。大学を卒業して中学校の体育教師となりましたが、部活の指導中に頸椎を損傷してしまい、首から下が全く動かなくなってしまいました。星野さんは全てに絶望してしまい 「このままなるべく早く命が終わったらいい」 と思っていたそうです。早く死にたいので、食事を食べないでいたそうです。ところが、生きていればお腹がへってきます。我慢できなくなってご飯を食べたら、やはりとても美味しかったそうです。その時に星野さんは次のように感じました。 「自分が諦めても、私の命が一生懸命生きようとして、私を生かしてくれた。そんな命に死にたいと思うのは申し訳ないな。そんな気持ちになって少し積極的に生きる気持ちができた」 と。

これからの生き方が見えてくる

 その後、友人から励ましの手紙が来るようになり、星野さんは返事を書きたいと思うようになりました。そこで筆を口にくわえて、文字や草花の絵を書く練習を始めました。そうすると草花の表情が初めて見えてきたそうです。あまり役に立ちそうにない草花でも、綺麗な花を咲かせて力強く生きている。そういう草花を見ているうちに、自分は何の役にも立たないで生きているけれども、そのことにも意味や価値があるのではないかと思えるようになったそうです。そういう気持ちで作品を書き展覧会を開くと、母へのご恩やいのちの尊さを描いた作品は大きな反響を呼び、そのことによって星野さんは自分の生涯の生き方が見えてきたそうです。退院後、星野さんは沢山の詩画集を出版したり、展覧会を開いたりされました。平成3年には群馬県みどり市に富弘美術館もオープンしました。

そのまま受け入れて

 ある日の散歩中、草花に自分の姿が重ね合わさった星野さんは、このようなことをおっしゃっています。 「秋になれば草花も枯れます。虫に食われたり、花びらがそろっていなかったり、いろんな困難があって初めて綺麗な花になっていくと思う。自分も嫌な面を繕わないで、それをそのまま受け入れて生きていった方が楽だし、それが一番いいなあ」 そのようにありのままの自分を受け入れて、星野さんは多くの作品を生み出していかれたのです。

私が私になる

 その作品の一つに、このような言葉が書いてあります。

冬があり 夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく

 これこそ身体が不自由になった星野さんが、たどり着いた帰着点だったのではないでしょうか。私が私になる。それは自分の良い所も悪い所もすべて受け入れて生きることによって可能になるのでしょう。星野さんがそう思えるようになるには、多くの時間と葛藤を必要としたのだと思います。トマトをメロンに見せようとする必要はないのです。トマトはトマトのままで十分本物なのだということでしょう。  星野さん、78年のご生涯人生大変お疲れ様でした。あなたの生き方に沢山のことを教えられました。

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