法圓寺

お電話にて法話がお聞きいただけます。すべて機械が対応いたしますので、早朝、深夜いつでも下記の番号にダイヤルしてください。ここでは、これまでにお届けした法話の内容を文章にてご紹介します。

0256-94-5692

第341回

令和5年12月14日

永観、おそし

えいかん

先日、京都の永観堂禅林寺に参拝させていただきました。永観堂は浄土宗西山禅林寺派の総本山で、大変紅葉が美しい所です。永観堂の名前は中興の祖・第七世住持・永観律師(えいかんりっし)によるもので、律師はこの地に薬王院と呼ばれる施療院を建てて「悲田梅」と名付けた梅を栽培して 実を施すなどの活動を熱心にされていたといいます。
 永保2年(1082)、永観50歳の頃でしたが、2月15日の早朝、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していました。すると突然、須弥壇(しゅみだん)に安置してある阿弥陀像が壇を下りて、永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたといいます。この時、阿弥陀仏は左肩越しにふり返り

永観、おそし

と声をかけられたといいます。驚いた永観は、末代の衆生済度の証拠に奇瑞の姿を永く止めたまえと合掌し、祈念されました。それよりご本尊はこのお姿となられたといわれています。今も永観堂のご本尊の阿弥陀如来は、そのお姿のまま肩越しに左を向き、遅れがちな私たちをいつでも待ってくださっているのです。そのため永観堂のご本尊の阿弥陀如来は「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。

まとめに代えて

親鸞聖人は『愚禿悲歎述懐』という御和讃を11首よんでおられます。この『愚禿悲歎述懐』讃は、阿弥陀如来の光明に照らし出された親鸞聖人ご自身の姿をありのままに懺悔されたものであるといわれています。そのご和讃の中に

悪性(あくしょう)さらにやめがたし こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり 修善(しゅぜん)も雑毒(ぞうどく)なるゆえに 虚仮(こけ)の行(ぎょう)とぞなづけたる

とうたったものがあります。これを現代語訳すれば以下のようになります。
凡夫の心は悪辣(あくらつ)で、しかも、それをやめることもできません。蛇やサソリのように恐ろしいものです。それゆえ仮に善行を修めたとしても、それにも毒が混じり、にせものの行となってしまうのです
 このように罪深い私たちは、阿弥陀仏に正面から向き合うことはなかなかできません。いろいろな理由をつけて正面で向き合わず、遠巻きに阿弥陀仏を拝んだり、脇の方から阿弥陀仏を見たりしているのではないでしょうか。そんな私たちを永観堂のみかえりの阿弥陀様は

永観、おそし

つまり、お前たち何をもたもたしておるのだと激励しながら、いつまでも待っていてくださるのではないでしょうか。みかえりの阿弥陀様のお姿と柔和な表情に大きなお慈悲を感じました。

過去の法話