法圓寺

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第335回

令和5年6月19日

願いに生きる人となる

大悲に生きる人とあう

 
 令和5年5月に三期に渡って、京都の本山佛光寺において慶讃法会が勤修されました。私も二度、慶讃法会にお参りさせていただきました。一度は法圓寺の御門徒様と団体参拝させていただきました。もう一回は慶讃法会最終日の復演布教というお説教を御本山より命ぜられ行って参りました。慶讃法会とは、以下の四つの法要を併せた法要の名称です。それは宗祖親鸞聖人御誕生850年法要、浄土真宗立教開宗800年法要、聖徳太子1400回忌法要、並びに第33代真覚御門主伝灯奉告法要です。

 さて、法会では基本理念を「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」と掲げました。素晴らしい基本理念だと感じました。阿弥陀仏の大悲、つまり私たちを救わずにおかんという阿弥陀仏のお心のことです。その阿弥陀仏の大悲にすでに出遇い、その大悲に生きる先人に出遇うところに、私たち一人ひとりが阿弥陀仏の願いに生きる人となっていくということです。  
 親鸞聖人も法然上人が「阿弥陀仏の世界は素晴らしい世界ですよ」と言ってくれたから、お念仏に出遇えたのです。その法然上人も善導大師を通して、お念仏に出遇えました。自分に先立ってお念仏に出遇ってきた歴史が、私たちを大悲に生きる人と出遇わせてくれるのです。それが大悲に生きる人とあうということです。

願いに生きる人となる

 では、「願いに生きる人となる」とはどういうことでしょうか?

 金子大榮先生は

仏恩報謝というのは有難うございましたと、仏さまにいうことだと思っているけれどそうではない。有難かったら、その有難さをさらにまた輪を描いて、その輪を拡げていくことであります

 とおっしゃっています。それが願いに生きる人ではないでしょうか。ただ「阿弥陀さま、親鸞聖人、有り難う」で終わるのではなく、その出遇ったお念仏の輪をさらに拡げてゆくのです。「今日のお話はよかった。また一緒に聞きに行こうね」と周囲の方にお念仏の輪を拡げてゆく。それが真の願いに生きる人なのでしょう。

 今年、野球のWBCで日本は優勝しました。栗山英樹監督は選手に

チームが日本代表なのではない。君たち一人一人が日本代表だ

 と選手を鼓舞し、士気を上げたそうです。そういうことで言えば、「みんなが」や「誰かが」ではなく、まず「私」が仏の願いに生きる者となっていくのです。それが大事なことかと思います。厳しい言い方になりますが、「私」が抜けたら、法会に参拝したとしても、ただの「見物人」になってしまいます。まず私が「願いに生きる人となる」。この度の慶讃法会を通して、一人でも多くの方がそのような生き方を獲得されたなら、慶讃法会を勤修した意味があったと言えると思いました。

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