法圓寺

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第296回

令和2年3月1日

コロナよりも怖いのは人間だった

春彼岸会と仏教婦人会総会等は中止

 世界中で新型コロナウィルスの感染が拡大しています。法圓寺でも感染拡大防止の観点から、三月に予定されていた春彼岸会と仏教婦人会総会、ひまわり会(聞法会)を残念ながら取り止めとさせていただきました。ご了承をお願いいたします。

「奪い合えば足らぬ。分け合えば余る」

 さて、感染拡大に伴ってマスクやトイレットペーパー、ティッシュペーパーなどが品薄になり、買えなくなっています。マスクはともかく、トイレットペーパーやティッシュペーパーは、在庫は十分にあると報道されているにも関わらず、買い占めのため品薄になっているようです。「奪い合えば足らぬ。分け合えば余る」という先師の言葉が胸に響きます。
 そういう状況の中で、先日ドラッグストアの店員さんの悲痛な叫びがネットで紹介されていました。それが「コロナよりも怖いのは人間だった」という言葉です。「マスクの入荷はいつ?」「いつもないじゃない!」「病人がいても買えないの?1個くらい取り置きしてよ!」と罵声を浴び、いつもは笑顔だったお客様が殺気立って、イライラをぶつけてくるので、みんな鬼に見えるというのです。スタッフの中には、貧血や過呼吸で倒れてしまう方もいるそうです。

生きるために、いざとなれば何でもするのが人間

 私はその記事を読んで、ドラッグストアの店員さんが本当に気の毒になりました。しかし、それと同時に、こういう非常時には人間の本当の姿が見えてくるのだと感じさせられました。何もなければみんな笑顔でいられるのでしょうが、非常時になって切羽詰まると、笑顔の下の本当の顔が出てくるのです。親鸞聖人が詠まれた高僧和讃の道綽(どうしゃく)讃に次のようなものがあります。
 「濁世(じょくせ)の起悪造罪は 暴風駛雨(しう)にことならず 諸仏これらをあわれみて すすめて浄土に帰せしめり」。このご和讃は、「私たちの生きている娑婆世界で人間が起こす罪悪は、暴風駛雨のように理性を吹き飛ばし、押し流してしまいます。諸仏はこうした私たちを哀れんで、みんな必ずお浄土に生まれさせてくれるのです」という意味です。今回のコロナウィルスの感染拡大は、私たちの善人の仮面を剥いで、「自分が生きるためには、いざとなれば何でもする」という人間の恐ろしいあり方を顕わにしてくれているのではないでしょうか?勿論、道徳的には、買い占めをしたり、店員さんに罵声を浴びせたりすることは悪いことであり、やめなければいけません。しかし、いざとなれば自分が生きるために何でもするのが人間なのでしょう。阿弥陀仏はそんな私たちを哀れんで、「そんな罪深い自分に気づいたら、お念仏してくださいね。私が一人残らず助け遂げますよ」と願っておられるのです。

阿弥陀様の救いは無条件

 いくら阿弥陀仏がそう願っていても、私たち自身が、罪悪深重(じんじゅう)なるわが身に気付かなければ、阿弥陀様の無条件の救いを喜ぶ身にはなれません。その意味で、今回のコロナウィルスによる騒動は、私たちの本当の姿に気付かせ、阿弥陀様の救済を明らかにしてくれているのではないでしょうか?今回の騒動は決して他人事ではありません。私たちの心の中にある鬼の姿です。その事に深く頭を垂れ、そのような私をそのままお浄土に生まれさせてくれる阿弥陀様の無条件の救済に乗托(じょうたく)したいものです。

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