法圓寺

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第294回

令和2年1月1日

黒白二鼠(こくびゃくにそ)の譬え

『仏説譬喩(ひゆ)経』

 『仏説譬喩(ひゆ)経』というお経の中に、次のような話が出てきます。
 一人の旅人が山道を歩いていた。ふと、後ろに異様な物音がするので振り返って見ると、どう猛な大虎が追いかけてくる。「こりゃ、たいへん!」と走り出した旅人は、崖っぷちまで来て「あっ」と息を呑んだ。崖っぷちにある大木に巻きついた藤蔓が絶壁の下にのびているのが眼に入ったからだ。「これは天のめぐみ、ありがたい」と、その藤蔓を伝って崖の中腹に降り、猛虎の餌食にならなくてすんだ。「ああ、助かった」と思った途端、藤蔓を握りしめている手が、間もなく体の重みを支え切れなくなっていることに気づいた。「下に降りよう」。そう思って下をうかがうと、とぐろを巻いた大蛇が口をあけて旅人の落ちてくるのを待っている。「こりゃ、いかん!」と、近くに足場を探すと、四匹の毒蛇が、近寄らば噛みつくぞ、といわんばかりに赤い舌をペロペロ出している。ゾッとして上を見ると、命の綱と頼む藤蔓を、木の根もとで白と黒のねずみが、ガリガリかじっている。まさに絶体絶命、旅人はブルブルッと身ぶるいした。そのとき、旅人の頭に、二メートルほどのところにぶらさがっていた蜂の巣から蜂蜜がポトリと落ちて来て、偶然にも旅人の口に入った。「ああ、うまい!」旅人は陶然として酔ったように、絶望の現実を忘れてしまう。こういうお話です。

この譬(たと)えの意味

 この譬えは何を意味しているのでしょうか?山道を歩く旅人とは、人生を歩む私ども人間の姿です。今まではボンヤリしていたが、ふと気が付くと、後ろから大きな虎が追ってくる。虎とは、各人が背負っている重い荷物のことでしょう。そして一時はうまく逃れ得たかに思う。それが藤蔓にしがみついてホッとする旅人の姿です。ところが崖の下には大蛇が、棺桶がふたを開けているかのように待っているのです。死ぬのは嫌だと近くを見れば、四匹の毒蛇。これは地・水・火・風の四大。つまり一切の物体を構成する四元素のことです。四大不調などというように、この四大元素の不調によって病苦があらわれるといいますが、それだけではなく、四大は時に地震・洪水・火事・暴風雨となって、絶えず人間の生命を脅かしています。藤蔓とは、人間の寿命を表します。その寿命を、黒と白の二匹の鼠が、つまり夜と昼という一日の時間のことですが、不断に命の綱をかじっているということです。

「後生(ごしょう)の一大事」

 そういった窮地の真っ只中におりながら、人間は不思議にも暗い顔をしていません。それは落ちて来る蜂蜜のしたたりが口に入るからです。蜂蜜とは、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲のことです。バクバクもうけて財欲を満たし、食い気と色気を存分に楽しみ、苦労しないで有名になりたい。こうした欲の満足に目がくらみ、命の危機を忘れて生きている。そうした私たちの姿に気づかせてくれるのが、この「黒白二鼠(こくびゃくにそ)の譬え」なのです。つまり、仏様は、この譬えによって「後生の一大事」、つまり、「これで死んでも甲斐がありましたというものに出遇ってください。もう時間がないのですよ」と私たちに願っておられるのです。今年こそは、この「後生の一大事」に気づく一年にしたいものです。

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