法圓寺

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第283回

平成31年2月1日

周利槃特の教え

周利槃特について

 2月15日は、お釈迦様のご命日で、法圓寺でも涅槃会を勤修させていただきました。今年の涅槃会では、お釈迦様のお弟子の一人、周利槃特についてお話させていただきました。周利槃特は、自分の名前すら覚えられないほど愚かだったそうですが、ただひたすら掃除することを教えられたお釈迦様の言葉を守って、ついに悟りをひらいたと伝えられるお弟子さんです。
 周利槃特の兄は摩訶槃陀迦(まかはんだか)という方で、抜きんでた秀才でした。そのため、周利槃特はいつも兄に比べられて、賢兄愚弟として人の噂になっていました。兄の摩訶槃陀迦には、各地から500人ものお弟子が集まってくるようになりました。それに対して、弟の周利槃特は何一つ覚えることができませんでした。兄・摩訶槃陀迦はその後、お釈迦様の高弟・舎利弗、目連に出会い、出家してお釈迦様のお弟子となり、周利槃特もその後お弟子となりました。

ほうきの教え

 ある日、勉強会があり、お弟子さんたちは自分の了解したことを述べ合いました。しかし、周利槃特だけが教えの一文も暗唱することができませんでした。それを見た兄は、怒って周利槃特を外に追い出してしまいました。
 それを見かねたお釈迦様が、周利槃特に声を掛けました。「周利槃特よ、悲しむことはない。愚かな人が、自分は愚か者ですと頭を下げているのは、むしろ智慧ある者の姿なのです。愚かであるのにもかかわらず、自分は勝れた人間だとうぬぼれている者こそ、本当の愚者なのだよ。よいか、周利槃特、ここに一本のほうきがある。これからは、このほうきで掃除をしながら、『塵を払わん。垢を除かん』と唱えなさい」と。
 それから周利槃特は、お弟子さん達とお釈迦様のもとにくる時は、「塵を払わん。垢を除かん」と唱えるようになりました。こうして何年か経ち、「塵を払わん。垢を除かん」という言葉は周利槃特の身にしみこんでゆきました。この間、周利槃特は「塵とは何だろう。垢とは何だろう。払うとはどうすることなのだろう」と、心に問い続けるようになりました。そしてその後、周利槃特は、この塵や垢とは自分の心の塵や垢であると気づき、それを捨てきるまでになったそうです。

愚に立ち返る

 つまり、いつとはなしに積もってしまう塵とは、自分の体験のみを絶対的なこととして誇る自負心や驕慢心であり、どこからともなくにじみ出て肌を覆う垢とは、自分のしたことに対する執着心であると周利槃特は気付いたのです。この心の塵と垢を払い除かないかぎり、努力すればするほど、かえって人を差別し、軽蔑する人間になっていってしまうと目覚めたのです。
 その意味で、周利槃特は賢くなって悟られたのではありません。かえって自分の自負心や執着心を、仏法に聞き直してゆく愚者に徹底されたのです。それが悟りに繋がったのです。現代は賢さがもてはやされる時代ですが、私たちも周利槃特のように、愚に立ち返りたいものです。