法圓寺

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第326回

令和4年9月17日

親ガチャと落在せるもの

親ガチャとは?

 皆さん、「親ガチャ」という言葉の意味をご存知でしょうか?これは「どんな親(家庭)から生まれてくるか?」を指す意味の言葉なのだそうです。
 ガチャというゲームのように、当たりがでるか外れがでるかは完全に運任せで、自分の生涯は、生まれた親によって決まってしまうということです。
 つまり、「親ガチャに成功した」とは、生まれてくる環境や親に恵まれた事を指しますし、「親ガチャ失敗した」とは、その逆に親が貧しいなど、家庭の問題で生まれながらにしてハンデを負っていることなどを指すそうです。

 確かにそういう面があるとは思いますが、
 私はこの「親ガチャ」失敗という言葉に、自分の人生がうまくいかないことを、全て親のせいにしているという面も感じます。
 私たちは、自分の人生なのだから自分の思い通りになって当然だ、と思っているのではないでしょうか。そういう思いから、親ガチャ失敗という言葉が生まれているように思います。

清沢満之先生の言葉

 真宗大学(現・大谷大学)の初代学長を務められた 清沢 満之(きよざわ まんし)先生は『絶対他力の大道』という著書の冒頭で次のように述べておられます。

自己とは他なし。絶対無限の妙用(みょうゆう)に乗託して、任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ちこれなり

 自分なりに口語訳してみますと、「阿弥陀仏の絶対無限の大いなるはたらきにお任せして、ご縁のままにあるがままに、この現在自分に与えられている境遇に生かされている。それが他ならぬ自己である」という意味です。

 例えば、植物の種は風に飛ばされて地面に落ちます。日当たりの良い、土地のよく肥えた所に落ちた種もあるでしょうし、日当たりの悪い土地の肥えていない所に落ちた種もあります。また、コンクリートやアスファルトの上に落ちる種もあるでしょう。しかし植物はそれに不平不満を言ったり、そこで生きることを怠けるということはありません。落ちた場所に安住して、そこで精一杯の努力をして自分なりの花を咲かせます。
 
 先日もコンクリートの隙間から、タンポポが芽を出して、花を咲かせているのを見ました。私は何か尊いものを見た気がして感動してしまいました。

置かれた場所で咲く

 先ほどの清沢先生の言葉をいただくと、私たち人間も、風に飛ばされて落ちる植物の種と何ら変わる所はないと思えてきます。自分で納得して生まれてきた訳ではありません。気がついてみたら、今のような境遇に生まれていたのです。親の問題のことだけでなく、自分の思いやはからいを超えて、ご縁のままに与えられたのが私たちのいのちなのです。自分のいのちだから自分の思い通りになるのが当然であるというのは、私たちの傲慢なのです。

 「親ガチャ失敗である」と都合の悪いご縁を人のせいにして生きてゆくのか、その事実をいただいて、その与えられた場で精一杯の努力をして生きてゆくのかが、私たちに今問われているのではないでしょうか。

 「親ガチャ失敗」などと言わず、置かれた場所で自分なりの花を咲かせたいものです。

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