法圓寺

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第322回

令和4年5月18日

今は戦前?

戦争

令和4年2月24日、とうとうロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。現在までまだ戦闘が続いています。

連日の報道でウクライナの悲惨な状況を見るにつけ、1日でも早い停戦が実現することを願わずにはおれません。

以前、次のような川柳をお寺の掲示板に書かせていただきました。それは「戦中と 戦後を生きて 今戦前」というものです。今日本は平和だけれども、それは戦前の静けさのようなものだという川柳です。確かに言われてみれば、今は戦前なのかもしれません。ロシアによるウクライナ侵攻を見るとその感を強くします。

21世紀になった現代でも、こうして戦争は起こるのだということを改めて教えられたように思います。

ちがい

国と国との戦争から家庭内のもめ事まで、争いはいつも自分が中心でないとおさまらない人間の心が引き起こすものではないでしょうか?

日本の地図と諸国の地図

世界地図一つを見ても、日本の世界地図と諸外国の世界地図は違うと言います。世界は一つなのだから、どこの国の世界地図でも同じだと思っているかもしれませんが、そうではないのです。

日本の世界地図は、日本が真ん中に描いてあります。
諸外国の世界地図は、自分の国が真ん中に描いてあるものが多いです。

どちらも間違いではありませんが、自国が中心であった方がみんな気持ちがいいから、そのように描くのでしょう。

また、日本と諸外国では、二つの国の表現にも違いがあります。

日本と諸外国における、二国の表現

例えば日本では、日米、日中、日韓というように、日本を先に表現しますが、それぞれの日本以外の国では、米日、中日、韓日とやはり自国を先に表現します。その方が気持ちがいいからです。

つまりこういう所にも、自分中心でないと満足できない人間の自我の姿が表現されているのです。
そして自分の思いが正義であり、相手の考えが間違っていると考えます。そういう気持ちが、家庭内不和や戦争を引き起こしてしまうのです。

十七条憲法から見える人間観

聖徳太子の17条憲法の第10条には、次のように定められています。(現代語訳で紹介します)

内心の怒りや身外の怒りを棄て、他人が自分に逆らったといって怒ってはなりません。人にはそれぞれ皆思うところがあります。また、心には自分の事を正しいと考える執着があります。他人が正しいと考えることを、自分は間違っていると考えますし、自分が正しいと思うことを他人は間違っていると考えます。しかし、自分が必ずしも賢者というわけではありませんし、他人が必ずしも愚者というわけでもありません。両方とも凡夫にすぎないのです。(中略)それ故に他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失があったのではないかと考えるべきです。自分の考えが道理にあっていると思う時であっても、人々の意見を尊重し、人と同じように行動しなさい

国同士がお互いに自分が正しいと思う心のぶつかり合いが戦争です。
仮に自分の思いが正義だったとしても、正義を実現しようとする自分も正義だと、多くの場合、私たちは錯覚してしまうのです。

この聖徳太子の教えは、「我に正義なし」を教えてくれるものです。

平和への提言

よく相手と向き合い、話し合うことが大切だといいますが、向き合えば喧嘩になることが多いものです。
なぜなら、私たちは人の言うことを聞かないで、自分の主張ばかりして、自分のいう事を相手に聞かそうという発想しかないからです。

ですから
ただ向き合うだけではなく、共に間違いだらけの凡夫に目覚め、共に仏様の方を向いて歩む。そこに家庭内不和や戦争を超えて、平和に生きてゆく道が開かれるのではないでしょうか?

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