第318回
新年挨拶
明けましておめでとうございます。
本年も法圓寺テレホン法話を聞いていただけますよう、宜しくお願い申し上げます。
煉獄さんの言葉
さて、昨年は『鬼滅の刃(やいば)』というアニメが大ヒットしました。このアニメは、日本の大正時代を舞台に、主人公の少年が、鬼と化した妹を人間に戻すために鬼たちと戦う姿を描いたものです。
昨年大ヒットしたものは、映画化された『鬼滅の刃』で、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』というタイトルです。この映画は、『千と千尋の神隠し』の興行収入を抜いて、日本歴代興行収入第1位を記録しました。私は、その映画がテレビで放送されていたものを、見させていただいたのですが、そのアニメの中のセリフに感動してしまいました。
この映画に、「柱」と呼ばれる鬼殺隊の幹部・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)というキャラクターが登場します。煉獄は、この映画のラストで、敵方の猛者(もさ)である鬼の「猗窩座(あかざ)」と戦います。猗窩座は煉獄の強さを認め、煉獄に「死も老いもない鬼にならないか?」と誘います。今どんなに強くても、人間である限り、いつかは年を取り、衰え、最後には死んでしまいます。ところが鬼は年も取りませんし、病気や老化で死ぬこともありません。大怪我をしてもすぐに治ります。ですから、鬼になって不死身になろうということなのでしょう。
ところが、煉獄はその誘いをきっぱりと断って、次の言葉を叫びます。
老いることも死ぬことも、人間というはかない生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ
私はその言葉を聞いて、本当にその通りだと感銘を受けました。煉獄は、その後、猗窩座をもう一歩という所まで追い詰めますが、猗窩座は自分の腕を切り落として逃げてしまいます。煉獄はこの戦いで致命傷を負い、いのちを落としてしまうのです。
煉獄の言葉を聞いて、老いや死が美しいなんてことはないと感じている方もおられるかもしれません。しかし、その後の煉獄の言葉にあるように、人間のいのちは「老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊い」のではないでしょうか?老いや死のないいのちに感動や感謝はありません。
東井義雄先生の詩
東井義雄という先生が 次のような詩を読んでおられます。
おとせばこわれる茶碗 いますぐにでもこわれる茶碗 おとせばこわれるいのち いますぐにでもこわれるいのち でも それだからこそ この茶碗のいのちが尊い それだからこそこのわたしのいのちがいとしい たまらなくいとしい こわれずに いまあることが ただごとでなくうれしい プラスチックのいのちでないことが ただごとでなくありがたい
永遠のいのちに私たちはあこがれますが、東井先生がおっしゃるように、そんないのちには感動も感謝もないのではないでしょうか?いつか滅するいのちだと知っているからこそ、一生懸命、感動を持って生きられる。そんないのちだから儚いけれど、愛おしく尊く、そして美しいのです。
感動と感謝の1年間を・・・
新年の「おめでとう」は、儚いいのちだけれど、今年も尊いいのちをいただいて、新しい年を迎えることができました、という「おめでとう」なのです。今年もコロナ禍のお正月を迎えましたが、その事を忘れずに、感動と感謝の一年間を生きて行きたいものです。
追記
今回のテレホン法話の内容は、標語付掲示板のなかにも掲載されております。
ほうえんblogのなか、記事を書いています!
よろしければ、こちらまたご覧なってみてくださいm(_ _”m)