法圓寺

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第261回

平成29年5月1日

いのちの授業

『千の風になって』

 皆さんは、新井 満(あらい まん)さんという方をご存じでしょうか?この方は新潟市の寄居中学校を卒業された著作家の方です。新井さんは、平成13年に妻をガンで亡くしたふるさとの友人を慰めるために『千の風になって』を作曲し、英語の原詩を訳して歌いました。その後、この曲を秋川雅史(まさふみ)さんなどがカバーして歌い、ヒットしたことで広く知られるようになった方です。

いのちの授業

 新井さんが以前、母校の寄居中学校で「死の授業」をしたということが話題になりました。この授業はNHKの番組「ようこそ先輩」の課外授業でした。この授業の様子は講談社より『死の授業』という書籍になって出版されています。しかし、私はこの授業を以後「いのちの授業」と呼びたいと思っています。
 どんな授業であったかというと、まず寄居中学校の2年2組の生徒27名を校庭に連れ出し、一人一人に自分が一番好きな人や物の絵を描かせます。子ども達は楽しそうに絵を描いていたことでしょう。ところが、絵が完成すると、校庭に火をおこして、たき火を焚いて、その絵をその火の中に投じさせるのだそうです。そして、その大切な人や物を書いた絵が、灰になる過程を生徒さんに見つめさせるのです。新井さんはそのことを通して、自分が一番好きな人や物が失われてしまったら、どんな気持ちになるかを生徒さんに想像させるのだそうです。嬉々として絵を描いていた生徒さんたちは、絵が灰になったように、自分が好きな人や物が失われてしまったことを想像して、みんな涙を流したそうです。新潟の震災で被災された新井さんは、死を見つめることによって、生きることの意味を生徒さんに教えたかったのだと思います。ですから、私はこの授業を「死の授業」ではなくて、「いのちの授業」と呼びたいのです。

生きていることは当たり前ではない

 たとえば、一人の生徒さんが一番仲の良い友だちの絵を描いたとします。この生徒さんにとっては、その友だちがいつもいることが当たり前で、亡くなってしまうということなど考えたこともないと思います。しかし、この死と別れの疑似体験を通して、その友だちがいてくれることは当たり前ではない。生きている者は死んでしまうのが自然なことであって、いてくれることは本当にかけがえのない有り難いことなんだと認識を新たにしたのではないでしょうか。そのことに目覚めれば、当たり前のことなど一つもない。みんな足下のお陰様であったと思えるのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

 私たちは、今恵まれてあることは当たり前にして、ないものばかりを追い求めています。その結果、ぎすぎすした生活を送っているのではないでしょうか。そんな時に、今、自分に恵まれている事を一つ一つ数えていくと、心が満たされてきます。「南無阿弥陀仏」は、いろいろな意味がある奥深い言葉ですが、私は「今、わが身にいただいている恩徳に目覚めよ」という阿弥陀仏の呼び声ではないかと受け止めています。心が疲れた時は、お念仏を称えて、「今、わが身にいただいている恩徳」を数えてみたらどうでしょうか。きっと心が潤ってくるのでないかと思います。新井満さんの「いのちの授業」から、そのようなことを感じさせていただきました。

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