法圓寺について
新潟県弥彦村 真宗佛光寺派
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真宗佛光寺派とは?
越後流罪に遭われた親鸞聖人は、ご免罪の翌年、建暦二年(1212)に京都に帰られ、京都・山科の地に草庵を結ばれました。この草庵を建てられたことが佛光寺の草創であると伝えられています。つまり、佛光寺は親鸞聖人が、ご在世の時に自らが建てられたお寺であるということができます。
これに対して、本願寺は親鸞聖人がお亡くなりになった後に、お骨を安置する廟所として成立したお寺です。浄土真宗は公認されている派が10派あり、東西本願寺と佛光寺は全く系統が違う本山です。
法圓寺のあゆみ
- 〈開基前〉
- 法圓寺の開基・玄貞上人は、もとは後柏原天皇の衛士であったが、深く感ずる所があり比叡山に上り、梨本谷に住居する。もっぱら天台の教義を学び、進んで法然・親鸞の教えを研究するに及んで、親鸞聖人の教化が時機に相応なるを深く感じ、比叡山を下りる。
- 長禄2年
- 1458年
- 9/3
- 聖人の配所・越後の国に来たり、鳥屋野の続き、沼垂の庄に草庵を結ぶ。これを法圓寺の開基とする。
- 享禄3年
- 1530年
- この年の春、土地の豪族、同心の行者と浜首(現・燕市吉田浜首町)に一宇を建立し、玄貞上人を招いて開基とし、寺号を「湖山 法圓寺」と称する。
- 弘治2年
- 1556年
- 法圓寺第2世 舜源の時、現今の弥彦村矢作の地に寺基を移転する。
- 元禄元年
- 1688年
- 9/30
- 法圓寺第8世・肇胤の時、故あって本願寺を離れ、佛光寺に属す。
- 安政元年
- 1854年
- 法圓寺山門建立される。
- 安政3年
- 1856年
- 法圓寺鐘楼建立される。
- 昭和39年
- 1964年
- 11/15
- 法圓寺にて、親鸞聖人700回ご遠忌法要を厳修する。
- 昭和40年
- 1965年
- 釈迦堂山のお墓を、法圓寺境内地に移転する。
- 平成5年
- 1993年
- 11/18
- 本堂一階部分に「聞法会館」が落慶し、祝賀会を行う。
- 平成10年
- 1998年
- 9/19
- 法圓寺に良寛さまの歌碑が建立される。
- 平成11年
- 1999年
- 11
- 法圓寺門信徒会館「湖山舎」(庫裏)が完成する。
- 平成12年
- 2000年
- 6/8
- 「法圓寺同朋の会」、第24回正力松太郎賞を受賞する。
- 平成13年
- 2001年
- 11/30
- 法圓寺の鐘楼と山門が、弥彦村の有形文化財に指定される。
- 平成21年
- 2009年
- 5/11
- 法圓寺第20世住職・無極院釋哲雄、行年80才にてお浄土に還る。
- 平成27年
- 2015年
- 6/14
- 「平成の改修工事」が終了し、前住職7回忌法要と合わせて、円成法要を行う。
- 平成28年
- 2016年
- 9/22
- 法圓寺、公式Webサイトを開設する。
「湖山 法圓寺」
名の由来
寺号「法圓寺」の由来
法圓寺の寺号は「諸法円成」という言葉から名づけられました。この世に存在する有形・無形、一切のものが、円満に仏の心を成就するものとなってもらいたいという願いが込められています。
山号「湖山」の由来
現在、法圓寺の北西に弥彦中学校のグランドがあります。ここは以前「矢作のつつみ」の名で親しまれる湖沼がありました。また、その近くには釈迦堂山という小高い丘がありました。そこには183基ものお墓があり、法圓寺の飛地境内地となっていました。その釈迦堂山から「矢作のつつみ」の湖沼が綺麗に見えたことから、法圓寺の山号は「湖山」になったと言われています。
僧侶のご紹介
住職梨本 哲哉
時代のうねりの中で、伝統と革新のバランスに悩みながら寺院運営に努めております。皆さまと共に時代にマッチした新しい寺院像を作ってゆきたいと考えております。
副住職梨本 雄哉
お寺でのヨガ教室や婚活イベントなどを通し、お寺という場が地域の人やモノの架け橋になるよう活動中です。あなたと、お寺でお会いできることを楽しみにお待ちしております。