法圓寺

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第314回

令和3年9月25日

僕、恥ずかしいよ

中村忠二

中村忠二 とは

 今年の夏は梅雨明けが早かったせいか、暑かったですね。その反面、秋の訪れも早いような気がします。そのせいでしょうか。8月の下旬からアブラゼミの死骸をたくさん見ました。

 その時にふと、画家・中村忠二の詩を思い出しました。

 中村忠二は、1898年姫路市生まれで、1975年に逝去されています。

 20歳で上京され、各地を転々としながら制作を続け、晩年の20年間を東京で過ごした画家です。

 忠二は小さな家に住み、バラックのようなアトリエで、中に入ってくるセミや蜂や蚊といった虫たちと語り合いながら、その虫を讃嘆する絵や詩をたくさん残されました。

僕、恥ずかしいよ

 それらの内、1つの詩を紹介します。

蝉さんよ 
道できみを拾ったがい 
歌って歌って 
力つきてね 
樹から落ちたんやなあ 
僕、恥ずかしいよ

 この詩を紹介してくれたある先生は、忠二の絵をいただいたそうです。

 その絵には、あお向けになったセミの死骸が描かれ、セミを讃嘆して、上述のような詩が書かれていたそうです。

本当の豊かさとは?

セミの一生

 アブラゼミの一生は、雌が樹木の樹皮などに卵を産み付けることから始まります。その卵がふ化すると、幼虫は樹木から地中に潜っていきます。そして地中で数年間、脱皮を繰り返しながら成長します。終齢幼虫となると、地面から木などに登り、羽化してセミになるのです。

 セミになっても、数日間は鳴けないそうです。

 また、鳴くのはオスのセミだけです。メスのセミを呼ぶため、オスは鳴いているのでしょう。オスのアブラゼミは、その短い成虫としての一生を、鳴いてメスを呼ぶことに集中するのです。

 セミの成虫の寿命は、昔は1週間と言われていましたが、最近では1ヶ月位生きると言われています。ただ、1週間にしても、1ヶ月にしても、数年という地中での生活の長さからみたら短いものです。

忠二の慚愧

 忠二は、セミの死骸を見たときに、そのようなセミの一生を思い、そのことによって自分の生き方が照らされたのではないでしょうか?

  • 与えられても与えられても満足することなく生きている自分
  • 感謝することもなく、不平、不満、愚痴ばかりで生きている自分

 そういう【自分】の姿に忠二は気付かされ、その時、懺悔とともに詩の最後の一節「僕、恥ずかしいよ」という言葉となって、あふれ出たのだと思います。

蝉さんよ 
道できみを拾ったがい 
歌って歌って 
力つきてね 
樹から落ちたんやなあ 
僕、恥ずかしいよ

まとめに代えて

 この忠二の思いは、豊かさに慣れ、有り難いとも思わず、もっともっとと次の満足を求めてやまない私たちに「足るを知る」ということの大事さを教えてくれているのではないでしょうか?

 豊かさは幸せをもたらせた反面、人間が生きる上での大事なことを見えなくさせてしまったように思えてなりません。

 忠二の詩は、そのことを私たちに教えてくれているのです。

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