法圓寺

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第357回

令和7年4月12日

本堂は戦場(いくさば)

内陣と外陣

 浄土真宗では、本堂を内陣と外陣に分けます。阿弥陀さまを安置していて、少し高くなっている所を内陣といい、ご門徒さんが聴聞される場所を外陣と言います。でも、どうして本堂に「陣」という文字を使うのでしょうか?「陣」は、辞書を引くと「軍隊の集結している所」と出てきます。「いくさ。たたかい。合戦」という意味もあります。ようするに戦いの場を「陣」というようです。ある方は、本堂は人間の心と阿弥陀さまの心が戦っているから、「陣」という漢字を使っているとおっしゃっていました。そのことの意味を自分の体験をふまえて、今回は考えてみたいと思います。

子育ての醍醐味

 私がお念仏の教えを学び始めた頃は、子どもがまだ小さく、子育てで大変な時期がありました。それである研修会の時、「子どもが言うことを聞かなくて困る」という愚痴を研修会の先生に申し上げたことがあります。
 その時に先生から次のように言われました。

もし、あなたの子どもが親より早く起きてきて、「お父さん、もう朝ですよ。起きて下さい。お茶を入れておきました」。そんな子どもだったら、あなた達のような者はお寺におれないだろう。「起こしても起きてきません」。そんな子どもだから、あなた達のような者でも、自分は親だといって威張っていられるじゃないか。そのままで丁度いいのです。親の枠から跳びだそうとする子どもに教えられて、だんだんと本当の親にさせていただくのです。それが子育ての醍醐味ですよ

わたしはそれを聞いて、「それが仏さまの見方なのか」とショックを受けたことを覚えています。

本堂は戦場

 私は自分の都合だけで子どもを見て、自分の価値観に合えばいい子。合わなければ悪い子。そうやって自分の枠に子どもを押し込もうとして、自分の思い通りにならないと苦しんでいたと思い知らされたのです。そのような「思うがままに生きたい」という私の思いと、「あるがままにご縁をいただいて生きよ」という阿弥陀さまの思いのせめぎ合いが聞法ということなのでしょう。

 人間の心はいつでも「思うがまま」に、自分に都合のいいことを考えています。ところが阿弥陀さまはそうではなく、「あるがまま」にご縁をいただいて生きることを教えてくれています。その二つの心が聞法することにおいて戦っている。だから浄土真宗の本堂は聞法の道場であり、私の心と阿弥陀さまの心がいつも戦っている戦場(いくさば)だといえるのです。それが本堂に「陣」という文字を使っている意味なのではないでしょうか。内陣、外陣等、普段自分達が何気なく使っている言葉にも、深い意味が込められているのだと改めて知らされました。

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