第347回
心房細動
先月(令和6年5月)、心臓のカテーテル手術を受けました。昨年の冬に心房細動がたまたま見つかったのがきっかけでした。心房細動とは心房が小刻みに震えてしまう不整脈で、放置しておくと心不全や脳梗塞を引き起こす危険な病気です。それで心房細動の根治を目的として思い切って手術を受けることにしました。4日間の入院でしたが、お陰様で退院翌日から通常の生活をしています。手術を担当された先生や病院のスタッフの皆様には厚く御礼を申し上げます。
術式はクライオ・バルーン・アブレーションというものです。全身麻酔の上、まず右足の付けの血管からカテーテルを挿入します。そして左心房の中で小さな風船を膨らませて、その中にマイナス60℃の冷却ガスを入れて、それを迷走する信号を出している肺静脈の付け根の部分に当てます。それによってその部分を冷凍壊死させて、誤った信号を出させなくするというものです。
私は全身麻酔でしたので、手術の様子は全くわかりません。しかしYouTubeで見ると、3D化されたモニターの画面を見ながらの、先生と大勢の技師さん達による高度なものです。3時間くらいかかりましたが、手術は無事終わりました。この手術はもうすでに確立した技術だということで、改めて医療技術の進歩とその有り難さを感じました。
ご縁に導かれて
今回の手術を通して私が一番感じていることは、手術に至るまで、いろいろなご縁に導かれていたということです。
まず、心房細動が見つかったのも、たまたまのご縁でした。昨年から心臓の動悸は感じていたのですが、昔から心臓が悪かったので、あまり気にとめていなかったのです。ところが、かかりつけの医院にお薬をもらいに行って、血圧計で血圧を測った所、脈拍の異常が発見され、心電図等の検査で、その動悸が心房細動であるとわかりました。心房細動があっても心電図で確認されなければ、手術はしてもらえません。そういう意味で、たまたま通院した時に心房細動が起こっていて、それが確認されたということも不思議なご縁だったと感じます。
それからもう一つのご縁は、父である前住職のことです。父も心房細動がありました。私が心房細動を発病したのも、そういう遺伝的な要因があるのかもしれません。結局、父はそれがもとで脳梗塞を発病し、満78歳でお浄土に還りました。もう来年17回忌を迎えます。父のそういう姿を見ておりましたので、「手術ができるなら、自分のようになる前に早くしてもらったほうがいいぞ」と、父から促されたような気がするのです。そういう意味で父から願われていることを感じます。
父と別れて父と遇う
先日
父と暮らして父に遇えず。父と別れて父と遇う
という言葉に出遇いました。私は父が元気な時は、父に反発ばかりしていた気がします。しかし最近は、父がどういう気持ちで生きていたのかが気になっています。父の行動を振り返ってみると、独りよがりの点も多々ありましたが、家族や私の事をいつも考えてくれていたのだと感じます。それが父と別れて父と遇うということなのでしょう。
父と別れて15年が経過した今、私はようやく父と出遇えているのかもしれません。そう考えると、死は別れということだけでなく、新しい出遇いを開いてくれるものなのです。