法圓寺

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第337回

令和5年8月21日

安楽浄土にいたるひと

母の還浄について

 本年7月27日、大阪の坊守の母が、行年89歳で突然お浄土に還られました。お通夜、葬儀が8月1日の盆参会にかからなかったので、何とか大阪までお参りに行ってくることができました。ひと月ほど前までは元気に受け答えされていたので、これならまだ大丈夫だと思っていた矢先の出来事でした。元気な時は、私たち夫婦と子ども達のことをいつも心配してくれていた義母でしたので、とても残念で悲しい気持ちでおります。

母の言葉

 私たち夫婦は、昭和63年の4月に結婚させていただきました。その結婚式の前に義母から言われたことがあります。そのことを結婚してからずっと自分なりに大切にしてまいりました。それは

この子(坊守)の言うことは、必ず聞いてあげてください

という言葉でした。

この子は自分のいうことをちゃんと聞いてもらえさえすれば頑張れる子なので、疲れていてもよく聞いてあげてください

と言われたのです。
「聞いてあげてくれ」というのは、その通りにしなければいけないという意味ではなく「聞いてあげさえすれば、この子は満足して頑張れる子だから、よく聞いてあげてください」ということでした。

 大阪の堺から、誰も知り合いのいない、雪の降る新潟に娘を嫁に行かせるのはとても心配だったのでしょう。人は誰しも言いたい事が言えなければ、ストレスが溜まるものです。ましてや、誰も知り合いのいない所へ嫁ぐわけですから、そのことだけは私に伝えておきたいと義母は思っていたのだと思います。その一言を言い残して、義母はまた大阪へ帰っていかれました。それから35年が経過したのですが、その義母の言葉をずっと忘れることはできませんでしたし、自分では坊守の言葉を聞くようにしてきました。大過なく夫婦でここまで生活してこられたのは、その義母の言葉があったからだと思えます。

安楽浄土にいたるひと

 さて、親鸞聖人は浄土和讃に

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし

と詠われております。これは「お浄土に還られた方が、五濁悪世という私たちが生活する娑婆世界に還ってきて、お釈迦様のようにいつも私たちを育て導いてくだされます」という意味のご和讃です。
 義母は残念ながら浄土に還られてしまいましたが、この御和讃のように、先ほどの残された言葉となって、いつも私たち夫婦を導いてくださっているのを感じます。私たちが義母のことを忘れている時も、いろいろな姿・形となって、いつも私たちのことを見守り、念じてくださっていると思えるのです。義母を拝む時に、逆に義母から拝まれていることを感じるのです。そこに私たちの方が明日を生きる力を頂戴しているのです。9月に義母の49日法要を迎えますが、そのことが浄土真宗の法事を勤める心につながっていくのだと思いました。

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