第330回
新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。
本年も法圓寺テレホン法話をよろしくお願い申し上げます。
ワールドカップでの日本代表の活躍
昨年はサッカーワールドカップが開催されました。日本代表はドイツ、スペインというヨーロッパの強豪を相次いで撃破し、決勝トーナメントに進出しました。そこでクロアチアと対戦しましたが、残念ながらPK戦の末に敗れ、念願のベスト8進出の夢は破れました。しかし、日本代表の大活躍は私たちに大きな活力を与えてくれました。
ロベルト・バッジョの言葉
昨年12月7日付の読売新聞に「バッジョの言葉響く」という見出して、ロベルト・バッジョの言葉が紹介されていました。「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」という言葉です。記事ではこの言葉を引用し
SNS上で日本選手をたたえる投稿が相次いだ
と書かれています。
バッジョは元サッカーイタリア代表で「イタリアの至宝」と称された選手です。
バッジョは1994年のワールドカップ決勝で、ブラジルと優勝を争いました。延長戦でも決着がつかずPK戦となりました。PK戦でブラジル3点-イタリア2点となります。失敗すれば負けが決まる場面で、イタリアの5人目を任されたのがバッジョでした。誰もが決めてくれると思っていたのですが、バッジョが蹴ったボールはクロスバーを越え、イタリアは優勝を逃しました。
次の1998年の大会では、イタリアは準々決勝でフランスとあたり、やはりPK戦に入りました。この時はバッジョ自身はPKを決めたのですが、今度はチームメートが失敗してしまい、イタリアは敗れてしまいます。そのような体験の中で
PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ
というバッジョの言葉が生まれてきたのです。PKを外せば批判されます。しかし、それは批判を恐れず勇気をもってPKを蹴った証しなのです。
身勝手な思いを恥じ、拝み合う世界へ
日本代表は、対クロアチアのPK戦のキッカーを、直前に立候補で決めたそうです。日本は3選手がPKに失敗して、1-3でクロアチアに敗れました。私はそれをテレビで観戦していて、最初は日本の失敗したキッカーを責める気持ちになりました。しかし、新聞でバッジョの言葉を読んだ時に、私は自分の身勝手な思いを恥じるとともに「その通りだな」と胸を打たれました。
新聞記事ではSNS上の投稿をいくつかあげています。
- 重圧の中で勇気を出して蹴る選手を批判できない
- 自分もPKを蹴る人生を送りたいし、PKを外した仲間をねぎらえる人でありたい
といったものです。
テレビのサッカー解説者によれば、延長戦を戦い抜いた時には、肉体的には疲労が極限に達し、足に力が入らないそうです。また失敗すればチームが負けるという重圧もあって、延長戦後のPKを決めるのは難しいのだそうです。ほとんど決まるというものではないのです。そのような状態で、失敗したら批判されることを恐れず、勇気をもって蹴ることを立候補した選手を誰も批判できないと感じました。また二つ目の投稿にあるように、私も人生においてPKを蹴るのと同じような局面に遭遇した時には、失敗を恐れず進んでPKを蹴れるような人間でありたいと思いましたし、同時にPKを失敗した仲間は批判するのではなく、ねぎらえる人間でありたいと強く思いました。そういう思いがいがみ合う世界ではなく拝み合う世界を作っていくのではないでしょうか。
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