法圓寺

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第300回

令和2年7月1日

雲霧の下、明らかにして闇(くら)きことなきがごとし

 平成7年6月から始めさせていただいた法圓寺テレホン法話も今回で300回を迎えることができました。これもホームページを見てくださる方のおかげであると感じています。いつもご覧いただき有り難うございます。

眼の手術

 私事ではありますが、今年の6月に左眼の白内障と網膜(黄斑)前膜の手術を受けさせていただきました。6月24日に燕労災病院に入院し、翌25日に手術をいたしました。経過も順調でしたので、29日に退院してきました。白内障の手術だけでしたら日帰りの手術も可能なのですが、私の場合、さらに網膜前膜の症状がありましたので、五日間の入院が必要でした。
 網膜前膜とは、光を感じる網膜の上に、通常は加齢とともに自然に剥がれる薄い膜が部分的に残り、その膜が時間の経過とともに収縮して、網膜にゆがみを起こす病気です。その結果、視界にもゆがみが生じます。
 私の場合、最初に白内障の手術をしてから網膜前膜の手術をしました。眼球に麻酔注射をしてから、三つ小さな穴を開け、器具を挿入して膜を除去しました。合計一時間程の手術でしたが、ほとんど痛みもなく無事終わりました。最初先生から手術の説明を聞いた時は心配しましたが、無事に終わって安心しています。労災病院の先生やスタッフの方には厚く御礼申し上げます。

「雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし」

 手術前には眼鏡をかけて0.4しかなかった左眼の視力は、術後三週間を経過して裸眼で1.2にまで回復し喜んでいます。右目は相変わらずよく見えませんので、現在は左右の見え方のバランスをどうするかで悩んでいます。
 さて、手術してから気づいたことは、左眼の視界のゆがみです。垂直方向のものは、全て上の方が左に曲がって見えます。水平方向のものは、すべて波打って見えています。治るのに半年くらいかかるということです。恐らく、手術前からこうだったのでしょうが、見えるようになって初めてゆがみに気づくことができました。
 「正信偈」に、「すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし」という一節があります。仏さまに出遇うということは、根本の闇が破られるということなのですが、それは自分自身の貪りや憎しみの心に気づくことであると、ここで述べられています。

都合の眼(まなこ)

 今回私は眼の手術をして、よく見えるようになり、そのことによって初めて自分の視界がゆがんでいることに気づきました。仏さまに出遇うということは、それと同じだなあと今回感じました。仏さまに出遇う前は、自分の見方は正しい、ちゃんと見ていると信じて私たちは疑いません。しかし、実際は自分の都合というフィルターを通してしか物を見ていないのです。例えば、自分の孫が友だちとけんかしているのを見たら、相手の子が悪いとしか見えないのが、私たちの都合の眼(まなこ)なのです。仏さまに出遇うとは、そのようなゆがんだものの見方しかしていない自分の眼(まなこ)に気づくことなのです。そして、そのことへの懺悔を通して、「そのような私たちをそのままで助けとげる」という阿弥陀仏の大悲に目覚めさせていただくのです。それ故に、「雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし」。つまり雲や霧の下でも明るいと「正信偈」で述べられているのです。眼の手術によって、私は改めてそのことに気づかせていただきました。

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