第292回
ラグビーワールドカップ 2019
先日ラグビーのワールドカップが成功裡に終了いたしました。日本代表チームも念願のベスト8に進出することができましたし、新潟市出身の稲垣選手も大活躍してくれて、嬉しい限りでした。私も高校、大学とラグビーをやっていましたので、このラグビー人気がずっと続いていくことを願っています。
さて、先日ラグビーのことをテレビで説明してくれた元ラガーマンが、「ラグビーは誰にでも居場所のあるスポーツです」と言ってくれたことに、私は感銘をうけました。ラグビーは15人で行うことが多いスポーツですが、それぞれのポジションに役割があります。大きく分けると、フォワードとバックスです。フォワードにはスクラムやラインアウトなどで体を張ってボールを獲得する役割がありますし、バックスにはそのフォワ―ドが獲得したボールを展開してトライに結びつける役割があります。
ラグビーは誰にでも居場所があるスポーツ
ですから、フォワードには身体の大きさと強さが要求されますし、バックスには走力とパスやキックの器用さが要求されます。また、フォワードやバックスの中にもいろいろなポジションがあり、それぞれ要求される資質が違います。例えば、走るのが遅い人でも、身体が大きくて強靱であればフォワードの一列目に適していますし、身体が小さくても敏捷性があれば、スクラムハーフというフォワードからバックスにボールを供給するポジションに適性があります。ですから、どんなタイプの人であっても、できるポジションがあるのがラグビーのよい所なのです。まさにラグビーは「誰にでも居場所があるスポーツ」なのです。
金子みすゞ 「私と小鳥と鈴と」
私はふと金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩のことをを思いました。こんな詩です。
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
最後の「みんなちがって、みんないい」がいいですね。
誰にでも居場所がある世界
考えてみると、私たちは常に自分と人とを比較して優越感や劣等感を抱いていて、自分というものを見失っているのではないでしょうか?そういう私たちに、「あなたはあなたのままでいいのですよ」と呼びかけているのが阿弥陀さまであり、お浄土なのです。その呼び声に頷いて生きる時、比較の心を離れて自分なりの花を咲かせて生きてゆくことができるのではないでしょうか?自分と同じいのちは他にひとつもないのです。ラグビーが「誰にでも居場所があるスポーツ」ならば、お浄土は「誰にでも居場所がある世界」なのだと感じさせていただきました。そのことを教えてくれる阿弥陀さまのお呼び声に耳を澄ませて生きたいものです。