法圓寺

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第253回

平成28年9月1日

私は差別などしていません

優生思想

 今年の7月26日、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」にナイフを持った男が侵入し、入所者らが刺されるなどし、男女19人が死亡、26人が重軽傷を負うという残忍な事件がありました。捜査関係者によると容疑者は、「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしているということです。また「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたと伝えられています。障がいのある方はいない方がいいのだという優生思想が、この事件の背景にあったのだと思うと、私は非常に残念に思いました。

 こういう事件があると、「自分はそのような差別はしていない。そんな意識は全くないよ」と言う方がほとんどではないでしょうか。しかし、同朋大学の名誉教授・池田勇諦先生は、「そういう思い込みこそが、差別の元凶である」とおっしゃっています。私たちはいろいろな区別をします。男と女、大きい小さい、海と陸。そういう区別自体は無色透明ですが、その区別に人間は自我の価値付けをします。たとえば「勉強のできる子は良い子だが、できない子はだめな子だ」。そういう形で、すぐにその区別に価値付けをします。それが差別の元なのです。つまり、差別とは私たちが生きている限り避けられないものなのです。ところが、そういうことに無自覚で、「私はそのような差別はしていない」と言っている思い込みこそが、差別を助長しているということなのでしょう。差別をしていないという人でも、結婚などという人生の節目になると、結婚相手の出身が気になったりして、差別意識が出てくるのです。

弥彦村立養護学校での出来事

 弥彦村には以前、村立の養護学校がありました。私は当時、弥彦村の教育委員をさせていただいており、年一回、養護学校を訪問する機会がありました。ある年の学校訪問の忘れられない記憶があります。その学校訪問の時、養護学校では「思いやりカレンダー」を印刷していました。このカレンダーは、月ごとのカレンダーで、養護学校の生徒さんが彫った版画が刷ってあるものです。その時、そのカレンダーを身体の不自由な生徒さんたちが一生懸命に印刷していました。健常な生徒さんならば比較的簡単にできる作業ですが、障がいのある生徒さんですから、いくら一生懸命にやっても時間がかかります。その作業を生徒さんは汗をかきながら、真剣に行っていました。私はその作業の様子を見ていて、生徒さんに申し訳ないという気持ちが湧いてきました。出来上がったカレンダーは毎年、養護学校から頂戴していたのですが、そんな苦労をして、生徒さんが作ってくれていたことに、その時まで気付かなかったのです。そしてその姿を見るまで、そのカレンダーに対してもあまりいい印象を持っていなかったのです。差別とは、そんな所に表れるのではないでしょうか。

差別をすることを許さない生き方

 私は生徒さんの尊い姿によって、自分では意識していなかった差別心に気付かせていただきました。お念仏の信心とは、そういう形で私を照らしてくださっているのです。池田勇諦先生は「差別をしない人間にはなれないけれど、差別することを許さない生き方だけはさせていただかなくてはならない」とおっしゃっています。ただ単に「差別をやめよう」では所詮人ごとです。差別をしておったという自らの痛みこそが、真に差別のない社会を求めさせてくれるのではないでしょうか?

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