真宗佛光寺派 湖山 法圓寺

良寛さまの歌碑・句碑

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本堂前北側に良寛さまの歌碑・句碑

江戸時代後期の僧侶・歌人として知られる良寛は、現在の三島郡出雲崎町に生まれ、18歳のときに出家しました。長きにわたる修行と放浪の旅を経て、48歳のときに辿り着いたのが国上山・五合庵における詩歌や書に没頭する日々でした。

この頃、托鉢のために山をおり、弥彦周辺を訪れることがしばしばあったそうです。その道中、法圓寺にも立ち寄ったという伝承があることから、境内に歌碑および句碑が建てられました。

良寛さまの歌碑・句碑の写真

良寛さまの歌碑の写真

歌碑

平成10年9月
建碑者 弥彦良寛会会長 法圓寺第20世住職 梨本哲雄
大きさ

高さ 185cm、幅 65cm、厚さ 20cm (碑身)

餘能那閑者 奈尓耳当東へ牟 以や悲こ尓
堂由多布久裳能 風能ま尓ゝ 良寛
世の中は 何にたとへむ 伊夜比古に
たゆたふ雲の 風のまにまに 良寛

この歌碑は、弥彦村良寛会発足を記念し、本会初代会長であり法圓寺第20世住職である梨本哲雄によって建碑されました。歌碑の裏面にはその旨が刻まれています。

文字は全国良寛会顧問・渡辺秀英先生が各種の遺墨集、写真、巻物から一つ一つ集め、十数回に及ぶ組み替え作業の末に選定されたものであり、良寛の真蹟として高く評価されるものとなっています。

この歌から読み取れることは、良寛さまの生き方が親鸞聖人の説いた自然法爾(あるがまま)の境地と全く同じではないかということです。「たゆたふ」とは「決行しかねて、とどまっている」ということであり、この歌では、(雲が)「さっさと流れずに、ぐずぐずととどまっている」という意味で用いられています。また、「まにまに」には「そのままに任せる」という意味があります。以上を踏まえて歌全体を解釈すると、「弥彦山に漂う雲が風のまにまに身を任せてゆったりとしているように、世の中も無為自然に生きるのが大切」と説かれていること、すなわち自然法爾の境地をよしとするこころが如実に現れていることがお分かりいただけるかと思います。

なお、良寛さまは真宗佛光寺派聖徳寺(寺泊)の住職・円雅、ならびにその息子・円性と、二代にわたって交遊があり、この寺から『教行信証』(浄土真宗の根本聖典)を借りたという寺伝があるそうです。最初は禅宗で得度され出発された良寛さまは、これをきっかけに親鸞聖人の自然法爾の世界に傾斜を深められたのではないかと考えられます。

良寛さまの句碑の写真

句碑

昭和3年11月
建碑者 矢作有志農会
大きさ

高さ 185cm、幅 40cm、厚さ 16cm (碑身)

堂久保登盤閑勢閑毛天久留於知者可難
良寛 書
たくほどは風が持て来る落葉かな

この句は悠々自適の境地を読み、自足の境涯に甘んじている姿を表現しています。
小林一茶の句に類似したものがあります。

たくほどは 風がくたれる 落葉かな 一茶
たくほどは 風が持て来る 落葉かな 良寛

信濃生まれの一茶と越後の良寛とは、生きた時代も重なるところがあり、良寛自作の句ではないのではないかという説もあります。しかし一茶の「くたれる」と、良寛の「持て来る」とは大いに異なるので、別の句と解釈する方が自然と考えられます。

また、「たくほどは」は、「焚くほどは」と一般的に解釈されますが、良寛の影響を強く受けた貞心尼が「朝餉炊くほどは夜の間に吹き寄する落葉や風の情なるらむ」の歌を作っていることから、「炊くほどは」とする解釈もあります。

弥彦村有形文化財 鐘楼・山門

良寛さまの歌碑・句碑

第24回正力松太郎賞受賞 法圓寺同朋の会

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